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■私が「ファウンテンハウス」というアメリカのクラブハウスの存在を知ったのは9年ほど前のことだった。
、、、、、
「カサデオリーバ」という名前をつける前、偶然にも「ファウンテンハウス」という名前にするつもりだった。
その頃は私の家を"心の病を持つ方々の集いの場"として開放していて私の名前の「いづみ」から単純に「ファウンテンハウス(泉の家)」と考えたのだ。ところがすでにアメリカに「ファウンテンハウス」という団体がある事を聞き、現在のカサデオリーバと命名した。命名に関わる不思議な縁から「ファウンテンハウス」についてアメリカに住む友達に調べてもらった。歴史のあるクラブハウスで精神病患者支援団体の母体であることを知った。いつか行ってみたいと思いつつ、やっとそのチャンスが訪れたのは昨年の8月のことであった。
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アメリカに入って2週間目
ロサンゼルス
↓
サンディゴ
↓
ニューヨーク |
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、、、と、休み無しの仕事と移動に加え、前日の深夜にまで及ぶ仕事の疲れと
睡眠不足に体はガタガタで足はふら付き
直前まで行こうか? 行かまいか? 迷っていた。
しかし翌日はシカゴに移動というギリギリのチャンスに意を決し、
黄色く見える太陽をサングラスで避け、
タクシーに倒れこんだのだった。
支持した交差点で降りたが住所と地図で探す思考能力が欠如していた。
目の前の自転車店に入り、住所と「ファウンテンハウス」と書いた紙を見せると
店主は不思議そうに私の顔を覗き込み、
第一声が『何をしに行くのか?』という言葉であった。
そして店主が指差した先に古い外観の長い歴史を伺わせる建物が
太陽を遮り大きな影を落としていた。
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ドアを開くと広いロビーに当事者と思われる人たちが7〜8名いて刺すような視線に一瞬私の体は止まった。受付で代表者のRUDYさんとアポイント済みであることを告げると、中へ通された。RUDYさんは60歳前後? の温和そうな男性で、にこやかに出迎えてくれた。彼はファウンテンハウスの歴史や入会条件やシステム、etc、気軽に話をしてくれた。『ファウンテンハウスの運営資金はどうやって作るのですか?』と、私は唐突な質問を投げかけた。"HITORY"とRUDYさんは一言で言った。そして『みんなファウンテンハウスのことを知っているよ!』と・・・。 |
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■『1940年に精神病から立ち直った人たちがグループを結成しそのグループが他の精神病患者を助け(仕事や住居を探してあげたり、精神的にサポートしたり、、、。)ながらここまで大きくなった。そして、地元市民に訴えかけ、1948年に「ファウンテンハウス」が設立された。現在では地元だけではなく世界にその名が認められ、全世界の精神病患者のためのサポートのあり方のお手本になっている。その歴史と知名度に対して資金・寄付金は、ありとあらゆるところから支援されている!』とRUDYさんは言った。
RUDYさんと話している合間に、メンバーたちが入れ代わり立ち代り部屋を覗きに来た。その度にRUDYさんは『やぁ、マーク、今日は顔色がいいね!』、『おはよう、マリア、作業は覚えたかい?』と、やさしくメンバーたちに声を掛けていた。『参考になれば、、、』と言って渡してくれた入会申込用紙の枚数が多いのには驚かされた。ほとんどが○印を付けるだけの簡単な様式ではあるがETHNICITY(人種)という記入欄はアメリカらしいと思った。
また、HOUSINGTYPE(住居の種類)という項目の選択欄にPrison/Jail(刑務所/監獄)、Yndomiciled/Homeless(家がない/ホームレス)、Shelter(避難所:アメリカでは金銭的に生活が困難、家庭内暴力などで行き場を失っていた人たちのためにシェルターという場所を提供している)なども日本では考えられない選択項目で、(服用している薬)という項目には52種類の薬品名が記載されていた。 |
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RUDYさんにクラブハウス内の見学をお願いすると『ファウンテンハウスツアー(見学)はAMYに任せよう!
多分この時間は図書室にいるよ!』と言って案内してくれた。
建物内にはドアがなくまるで迷路のようであった。
AMYはメンバーで身長は私より低いがコンパクトグラマーな30歳前後? の白人女性で”秀才”といった印象を受けた。AMYは図書室で心理学で有名な”Interpretation
of dream”を読んでいた。
ツアー(見学)の案内役を心良く引き受けてくれたものの、私は少し不安だった。薬を服用しているAMYに日本人英語を理解してもらえるのであろうか? イライラさせてしまうのではなかろうか、、、? 後になって、私にはある種の偏見のようなものがあったことを深く反省した。
AMYは、ただの一度も「今なんて言ったの?」とは聞かず正確に答えてくれたのだ。つくづく”頭の良い人なんだナァ!”と感心してしまった。AMYのすばらしいガイドによって《ファウンテンハウスのメンバーがどのような活動をしているのか》という説明を受けながら見学することが出来た。 |
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■まず初めに通った受付を案内された。
受付にいる人もメンバーでどうやって人と対応するか、受付をやりながら練習をし学んでいる。必ず来訪者に挨拶をすることを基本に入退室者の管理もしている。
■次に、リサーチセンターを通り抜けた。
ここでのメンバーの作業はメンバーのインフォメーションを基にリサーチに必要なデータをまとめている。1日に何人のメンバーが通所したか統計を取るなどの作業だ。
■テラスに出た。
ここはメンバーが休憩するところで庭の花や植物の管理もメンバーが行っていた。週に1回フラワーマーケットに行き花や植物を買いファウンテンハウスを常にきれいに保つ努力をしているそうだ。
■リソースセンターでは”WEEKLEY PLANNING MEETING”の真っ最中であった。
スタッフやメンバーは、プレゼンテーションを考えたり手紙を書いて、資金作りのキャンペーンを企画し、市や州、地元コミュニティーに資金援助をどのようにアプローチするかを円卓を囲んで討議していた。 このリソースセンターという所はファウンテンハウスの中で最もアクティブに行動を起こしているところで、多種多様なグループ、支援者に声をかけ精神病患者への助けを求めている。最近ここでの実績として上げられることは、収入が少ない精神病患者に対して、地下鉄やバスの乗車賃を半額にする交渉に成功した。2001年8月末現在、ニューヨーク州に対して、精神病患者の収入に合わせた家賃で住居を借りることが出来るように交渉している。最も力を入れていることは、政府に収入が少ない精神病患者へ適切な健康保険を与えてもらうこと、特に歯科については米国では膨大な費用が掛かるため何とか保険でカバーできるように交渉している。スタッフはどうやって地域や社会からのサポートを得るか? どうやってメディアに訴えかけるか? どのように大衆の前でスピーチするか? を教えている。
■Independent Employmentではテーブルにスタッフ1名とメンバー数人が座っていて面接の予行演習を行っていた。
ここではスタッフがメンバーの就職に必要な履歴書作成の手伝いや面接を受けるためのテクニックなどを教えている。具体的な就職先の斡旋や検討をする場所なのだ。
■次にコンピュータールームのような場所に案内された。
ここではメンバーが特に力を入れたいことや、仕事上に要する基本的なこと、パソコンなどを教えていた。パソコンで作業している男性メンバーに『何の作業をしているの?』と尋ねると『ファウンテンハウスのメンバーのリストや出欠表を作成しています。』との返答であった。彼は『色々なことを教えてもらい作業が出来るようになれば給料も支給され、ファウンテンハウスに入会もでき非常にHAPPYだ!』と繰り返していた。
■オリエンテーションルームは”入会申請書”を受け付けるところだ。
精神病歴のある人は誰でも入会できるがファウンテンハウスのやり方に従うことが条件で、面接を受け前述したように10枚近くに上る申請書に本人のできる限りの情報を提供することになる。また入会が決まると必ずオリエンテーションプログラムを受講することが、義務付けられているそうだ。
■一番興味のあったカフェテリアで暫し休憩することになった。
すばらしいキッチンと食堂で整理整頓され大変掃除が行き届いている。メンバーはここでランチメニューを考えたり、接客をしたり料理を作ったり皿洗いしたりしている。キャッシャーにもなって金銭管理なども学んでいた。このときはおいしそうなケーキやクッキー類が並びジョーク交じりにも商品を勧めるメンバーから私は思わず大量のクッキーを買う羽目となってしまいました。
But,,とってもおいしかった。
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お茶を飲みながらAMYは自分の発病のときのことをポツリ、ポツリと語ってくれた。『、、、、、自分の部屋で勉強をしていたとき急に自分の中で異変が起こったの! それからは外に出ることも人に会うこともできず、何もする気力がなくなって、ただ毎日毎日寝ているだけの状態が続いたわ! 理由も原因も分からず長い絶望に時期が続いたわ! 病院の先生の紹介でファウンテンハウスに入会したの! とても時間は掛かったけど、ゆっくりゆっくり焦らず徐々に”そこ”から抜け出し今では、もう一度学校へ行くことを目標に勉強しているのよ!』とANYは言った。
■カフェテリアのキッチンの上の部分に広いロフトスペースがあることに気付いた。
そこは10代のメンバーが集まるフリースペースになっていて、若い男性のスタッフが対応していた。社会復帰を目指すメンバー(成人)と10代のメンバーは打ち解けることが難しいのだとAMYは言っていた。若いメンバーは特に作業をするのでもなく、騒ぐのでもなく、フワフワとそこにただ集まっていた。
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『ここでは人種問題や確執なんてあるの?』と私は質問をした。
AMYは『ここもアメリカよ!』と表情一つ変えることなく答えた。
最後にRUDYさんとAMYにツアー(見学)のお礼を告げファウンテンハウスを後にした。 |
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精神病患者(これは直訳)に対するファウンテンハウスの方針や対応、支える側(スタッフ)の姿勢、国・州・地域・企業の協力体制に敬意を表し私なりに感じえた支える側のあり方を、カサデオリーバの今後の活動の参考にしていこうと思った。
私が帰国しすぐにあの大きな事件のニュースが流れた、友人・知人の安否確認に1週間、眠れぬ夜が続いた。無事の知らせに涙し悲しい知らせに心が震えた。私し自身、あの事件の大きなショックと悲しみから未だ立ち直れない。亡くなられた方々のご冥福を祈りつつニューヨークのファウンテンハウスツアーのレポートを締め括ることにしよう。
文:村松いづみ |
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